カテゴリー:競馬有名人の記事一覧

競馬予想M

競馬予想に関するもののまとめです。競馬予想に関するいろいろなものを集めました。

カテゴリー:競馬有名人

三田寛子、梨園の妻の苦労告白、パワフル家族のために競馬勉強。

三田寛子、梨園の妻の苦労告白、パワフル家族のために競馬勉強。
三田寛子、梨園の妻の苦労告白、パワフル家族のために競馬勉強

 タレントの三田寛子(50)が2日、カンテレ「さんまのまんま」(土曜後1・56、関西ローカル)に出演。梨園の妻としての苦労や、プライベートについて語った。

 1991年に、歌舞伎俳優の中村橋之助(50)と3年間の交際を経て結婚。3人の息子にも恵まれ“梨園の妻”として日々奮闘している。今年10月に橋之助が八代目中村芝翫(しかん)、長男・国生(20)、次男・宗生(18)、三男・宜生(14)もそれぞれ四代目中村橋之助、三代目中村福之助、四代目中村歌之助と4人同時襲名するため、襲名披露興行の準備に追われているといい「こんなに忙しいのは生まれて初めてです」と近況を語った。

 息子たちの口上の場面を想像するとすごく緊張するといい「心臓が出てきたら中に入れて、出てきたら中に入れてって」と表現した。

 明石家さんま(61)に「子ども3人産んでいるのに若い」と褒められるとニッコリ。「梨園に入るって聞いたときは無理だって思った」と言われると「旦那さんと結婚すると話したときには周囲にお祝いの言葉ではなく、お悔やみのように言われた」と答えスタジオの笑いを誘った。

 11年に死去した義父・七代目芝翫さん(享年83)のために競馬を覚えようと東京競馬場にこっそり通ったというエピソードを告白。「東京競馬場に通って競馬新聞の読み方とか日曜朝に習ってきたんです。馬の歴史とか血統とか」と話すと、さんまに「何してるの?お父さんが生きてる間にやりなさいよ」とツッコまれていた。

 また、家族でクルージングを楽しみたいという橋之助の願いを叶えるために小型船舶2級の免許を取得するも操縦が不安なのか、家族には「嫌だ」と断られガッカリ。救命胴衣を投げる訓練など「死にそうになりました」と苦労話をしたが、橋之助には「きみだけでは怖い。(息子の)誰かが取ったら僕も行く」と言われたといい、さんまも橋之助の意見に同調していた。

 
 
競馬をやっているのは面白いなwwwwwwwwwww

この記事の続きを読む

手倉森監督|競馬で一文無しになった過去まとめ

手倉森監督|競馬で一文無しになった過去まとめ

手倉森監督|競馬で一文無しになった過去まとめ

mn

U―23日本代表が30日に行われるリオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねたU―23アジア選手権決勝で韓国と対戦することが決まった。五輪出場権獲得から一夜明けた27日、日本を率いる手倉森誠監督(48)は宿敵相手の決勝で快進撃を締めくくり、アジア王者としてリオに乗り込む決意を示した。

【写真】手倉森監督が夫人に怒られたイラク戦後の記念撮影

五輪出場を決めた手倉森監督は一夜明けの27日に取材対応。決勝・韓国戦へ視線を向けた。「最後は韓国になると大会前に話していた。仁川(インチョン)での借りを返したい。勝ってアジアNo・1になる。この上ないシチュエーションになった。ロンドン五輪では3位決定戦で敗れた。その悔しさも晴らしたい」と訴えた。韓国には14年の仁川アジア大会準々決勝で敗れた。ロンドン五輪では韓国選手が竹島(韓国名・独島)領有を主張するメッセージを掲げて騒動に発展。96年アトランタ五輪アジア最終予選でも決勝で韓国に敗れた。日本にとっては負けられない相手だ。

戦い方は変わらない。今予選はレギュラーをつくらずに毎試合先発を入れ替えた。5戦を戦い、9人で12得点。日替わりヒーローが生まれた。合宿中は宿舎の自室に選手を呼んで面談。「主将、副主将、海外組…。ほぼ全員かな」。食事中もミーティングで話す内容をメモするなどしたこだわりの言葉で、サブに回る選手も納得させた。ハーフタイムは通常サブの選手は練習を行うが、全員をロッカーに集めた。得点者はベンチに走り、全員で喜ぶことを決めた。

イラクを破ってチームを五輪に導いた指揮官は奔放な選手時代を送った。青森・五戸高から86年に住友金属(鹿島の前身)入りしたが、二日酔いで練習に参加することもあった。パチンコ屋にも入り浸った。「ジーコが見回りに来るから隠れていた」と明かす問題児だった。92年に鹿島を戦力外。思い立ったのが居酒屋経営だった。資金を増やすため中山競馬場に行った。しかし、2日間で全財産約600万円を使い果たし、死をも覚悟した。その時、母・朝子さんに10万円を借りた。「でもそれは(双子の)弟の浩が親に仕送りしたものだった」。情けなさが募ったが、NEC山形(J2山形の前身)に拾われ、そこからはサッカーに身をささげてきた。

五輪を目指すチームの監督に就任した際に協会から「ダジャレはやめてください」と指示された。しかし、イラク戦後の会見でも「自分の言葉は“まことだま”(誠の言霊)」と話すなど場を和らげるスタイルを曲げず、前評判が低かった谷間の世代を予選突破に導いた。あとは「アジアNo・1でリオ五輪出場」という目標を果たすだけだ。

この記事の続きを読む

ギャンブル(競馬など)をやらなかったら横綱になれた(1日5000万は超絶w)

ギャンブル(競馬など)をやらなかったら横綱になれた(1日5000万は超絶w)
ギャンブル(競馬など)をやらなかったら横綱になれた(1日5000万は超絶w)
 
 
賭博の怖さを語る、貴闘力

 野球賭博に関わったとして相撲協会を解雇された、元関脇の貴闘力さん(48)が28日、ギャンブル依存症のシンポジウムで自身のギャンブル体験を初めて語りました。「ギャンブルをやってなければ横綱になれた」などユーモアも交えて話す一方、「一番大好きな相撲をできなくなった」と後悔の弁も。同じ野球賭博で野球界を離れることになった元巨人軍の選手らには「いつでも相談に乗るよ」とエールを送りました。

【フォトギャラリー】若貴兄弟のその後 直接対決の優勝争い・世紀の婚約・アメフット挑戦…

「ギャンブルなんて大嫌いだった」

 若貴兄弟と同じ部屋だった貴闘力さんは、気迫あふれる取り口で、優勝1回、三賞14回と人気と実力を兼ね備えた力士でした。2002年に引退後は大嶽親方として弟子の指導にあたっていましたが、10年に野球賭博にかかわったとして相撲協会を解雇。今は都内で焼き肉店などを開いています。

 貴闘力さんが参加したのはギャンブル依存症問題を考える会(田中紀子代表)が開いた「ギャンブル依存症対策推進フォーラム」というシンポジウム。田中さんに「依存症に苦しんだ体験を話してほしい」と頼まれ、講演することにしたそうです。

 「子どものころはギャンブルなんて大嫌いだった」。貴闘力さんは冒頭、そう語りました。父親が大のギャンブル好きで、「借金取りが家まで押し寄せ、小学校を6~7回転校した」。そんな生活に嫌気がさし、中学卒業後の1983年、藤島部屋の門をたたきます。

負けると稽古が増えて強くなる?

 貴闘力さんによると、当時の力士の中にはギャンブル好きもいて、競馬や麻雀に誘われるようになります。最初は断っていた貴闘力さんも、「少しならいいか」と徐々にギャンブルの道へ。すぐにはまり、稽古が午前中に終わると、午後は競馬場やボートレースに通い、夜は麻雀という生活が当たり前になったそうです。

 1989年に十両昇進を決めると、化粧まわし代などのために必要な400万円を用意するために、10万円を手に競馬場へ行き、400万円に増やしたこともあったとか。

 ギャンブルに負けて無一文になると稽古する時間が増える。「そんな場所は決まって成績がよくて番付も上がった」と笑わせます。25歳で大鵬親方の娘と結婚してからも、ギャンブルをやめられず、「大鵬親方に借金の肩代わりをしてもらったことも一度ではない」と告白します。

 

 

この記事の続きを読む